京都に有りて想う事。

私は4年間京都に住んでいたので、準ホームタウン、という感じで、観光気分にはなれません。今回も久々にバスに乗ってうろうろして、以前住んでいた所の付近やバイトへの通勤路だった道を通ると、色々変わっていて、『古都京都』は『生活地京都』として見ると日々変貌をとげているのだなと改めて感じました。そしてそんな中でも絶対に変わらないものがある街。間口の狭い町屋が狭い路地にびっしりと立ち並び、よく考えると結構ごちゃごちゃしているはずなのですが、そう感じさせないのはそんな景色の隙間から「空」がみえて、背景には「山」が見える、という事が、私を何となく安心させているから、なのかもしれません。
京都という街は、歴史的観点からもかなりソフィスティケートされた「都会」と捉えることが出来ると思いますが、それは東京のそれとは全く質が違う、精神面での「都会」、だと思います。物質的観点や「消費する」情報の集積所として都会を捉えると、東京は確実に「都会」なのですが、都市機能を果たすためにはるか昔に(人工的に)作られ、絶えず工夫され続けてきたこの京都という街には「有機的な」情報集積力があるような気がします。
・・・よくわからなくなってきましたが(苦笑)。なかなか感想の域を出ないものですね。