ハズレなし!のモニカのケーキ。

一青窈が高校に転校してきた。彼女は歌手でもなんでもなく普通の一般人だ。ただ強烈な個性的オーラを放っていて皆遠巻きに見ていた。美術科に入った彼女は最初は稚拙な絵を書くが徐々に腕を上げていき、どんどん大作に挑んでいく。中央の自画像は完璧なまでの写実で、後ろの背景にコンピューターで輪郭処理したようなヴィヴィッドな線が施してある絵を現在制作中。美術に興味のない先生に解説しながら、「才能のある人はいいなあ。」などと思う。


久々に大学に行く。掲示板を見ると「○○ゼミ」と掲示してあるが膨大な量だ。こんな先生いたっけ?知らないなあ・・・そもそもこんなに教員いたっけ?と思い、案内してくれていた事務の人にそう訊ねると、「いやねー、システムが変わってね、学生がテーマを出すと教員がそこから選んで就くシステムに変わったのよー。だからねぇ、奇抜なテーマとか、現任のセンセ方じゃ対応できないテーマを提出した子が出るともう大変よー。」と言う。「もしそんな人が出たらどうするんですか?」と訊ねると「いやー、毎年必ず出るんだけどね、もうちょっと教授のカバー範囲におさまるようテーマ変更を学生さんにお願いするんだけどね、どうしても譲らない時には全国から対応できる教員を雇って臨時採用するのよ。」という。へー、そんなシステムに変わったんだ。私の時もしこうだったらあぶれた挙句全てを蹴ってゼミをドロップアウトなんてしなくても済んだのになあ、としみじみした。


と言う夢を見た。


最初の夢は半分現実が混じってて、私の出身校には一青窈も有名人もいなかったけど美術科はある高校でした。美術科の子達はなんかちょっと「違って」いて、例えば勉強やスポーツは途方も無く出来なかったりするんだけどめちゃくちゃ(素人目に見ても)絵が上手い、とか・・・あの頃はそういう「一芸」に秀でた人に憬れてました。今でもそんな気持ちが無いと言えば嘘になるけど、今のところそういうタイプの「一芸」は無いようです。
後半の夢は、恐らく先日京都に赴き大学の某ゼミ会に参加したのが要因でしょう。私の入った(そして出なかった)ゼミとは違うのですが、一回の基礎演習、二回のフォーラムとお世話になった、唯一恩師と呼べる人のゼミの野暮用に、そのゼミのOBである友人経由で狩り出され、何やかんやでゼミ生でもなかったのにOBになる事が承認されてしまった(ちゃんと規約までありました)面白いゼミでした。私は縦のつながりをあまり持ってないし学校関係のつながりも薄いし、それより何より個性的で面白いOBの人がいらっしゃったのと、入ったら毎年OB会で恩師に会えるなあ、というがその思惑。
そのOB会の席で恩師にゼミをドロップアウトした経緯を話すと、まあ、現状の制度ではどうしようもなかったな、という所に落ち着いたのですが、私がもっていたテーマを拾ってくれる先生がもうそろそろ学部にいないとマズイと思いますよ、と言うとそれには大きく賛同してくれました。まあ、あのときは個人的事由で(端的に言うとあまりにも自分の実体験として生々しすぎて研究対象として扱えなかった。)どの道頓挫していたでしょうから、私が無謀だった、という点も否めないのですが(だから学校ばかりを怨んではいません)。
でも所属ゼミをなくしてしまった浮遊霊には嬉しいお誘いで、知らない人が殆どですが、数少ない知ってる人を手がかりに広がって行けばいいなあ、と。そして久々に現役の大学生を見て(折角OBを呼び出しての就職相談会だったのに積極的に話かけてこない、OB会では現役生だけ固まって飲む、そしてOB会がお開きになっていざ帰ろうかと言うところでやっと就職の相談をしてくる、などなど)うーん、なんか違う、もうこの子達と私との間には大きな違いがあるんだなあ、としみじみ。もうあの頃には戻れない〜♪んですね。なんてちょっぴり感傷に浸りながら家路に着きました。


ライフ+5爽やかにするぞ!の意欲満々ちょっと懐かしのBGM:カーディガンズ『ライフ+5』
#1カーニヴァル懐かしすぎて泣きそう。でも色褪せないね。この頃こういうこじゃれ系流行ったなあ。