長谷川さんの死

kuma-neko2005-02-28


日曜日は祖父の七回忌でした。お別れした後あんなに悲しんだ(否、正確には苦しんだ)のに、月日はあの感情を懐かしみに変えるのかと少し驚きをもってお経を聞いていました。
その途中、父の携帯が鳴りました。父の親友の長谷川さんが亡くなったと、奥さんからの連絡でした。滅多に動揺しない父が、明らかに顔色を変えていました。
長谷川さんは私が物心もつかない頃から私を可愛がってくれた、私にとっても親しい、ちかしい人でした。


私はどうも人一倍「死」に弱いようです。あらゆる意味で。
とりあえず今は耐えられないと、法事に来ていた母方の祖父と共に田舎へ「避難」することにしました。


夜。


長谷川さんの事を考えて、そして死の事を考えて眠れませんでした。夢に落ちたかと思うとすぐに目覚め、少なくとも二時間は寝ただろうと思ってもたった十五分しか経っていませんでした。頭は静かに混乱し、時計の針の音が薄い薄い層になって胸に積み重なっていつの間にか身動きが取れなくなるような、そんな苦しさ。
思いあぐねて、遠い大阪の私たちのベッドで眠っているであろうMさんに電話をしました。何時だったでしょうか、とても遅い、真夜中に、隣の部屋で眠る祖父を起こさないように布団をかぶって。
Mさんはすぐに電話を取ってくれました。あの時の私には、神様か天使さまか何かと話をさせてもらっているように、それ自体が救いでした。
ずっと出なかった涙が溢れてとまりませんでした。
布団をかぶって少し話をして、それからもう一度薬を飲んで横になると、少し眠れました。


結局、今私は長谷川さんのお通夜に行くために、実家へ帰る船の中にいます。あれほど死の近くに行く事を恐れ、落胆する父の姿を見たりする事を嫌がった私が、結局自分の意志で戻るのです。田舎では、障害を負った祖母とはろくに話をする時間も取れなかったし、もう少し長く滞在すると思っていたであろう祖父には寂しい思いをさせてしまいました。
よかれと思って、自分の為に逃げたのに。色々裏目に出ている気がしますが頭がぼうぅっとして働きません。


そういえば、昔、葬式を始めとする一連の儀式は死者の為のものではなく、残された者達の為のものである、と考えた事があります。
脅えて逃げ出しても、それ以上の苦しみ(この場合悲しみ)が与えられるだけなのかもしれません。

とても暗い文章になったけど、長谷川さん、今までありがとう。これからも、私たちをよろしく。