「障害」って何だ?

先日から声が出なくなった事は書きましたが、それにまつわる幾つかの気になったエピソードを。

<その1>
私は帰省のためにキャリーケースを引いて混雑する駅の構内を急いでいました。松葉杖を使って歩いている女性が横目に見えましたが、兎に角急いでいたので、ひょいっと追い越しました。
・・・追い越した、つもりだったのですが、私のキャリーケースがその女性の松葉杖に引っかかってしまっていたらしいのです。いくら急いでいたとは言え、それは私の事情だし、ましてや言い訳になるわけもなく、本当に、完全に、私の不注意でした。
その女性は猛烈な勢いで怒り出し、大声で私の事を非難し、わめいていました。本当に申し訳なく、私は只頭を下げるしかありませんでした。
「あんた足悪い人間にぶつかっといてすみませんの一言も言えへんのか!」
興奮した女性はそう大声で何度も私の事を詰りました。
私はメモ書きで現在声が出ないが耳は聞こえる旨をを彼女に伝え、「申し訳ありませんでした」と書き添えました。



すると、彼女の態度が一変したのです。
「ごめんな、あんたそんな大変やったんか。わかってやれんでごめんな。こんなうるさく言うてほんまに堪忍や。ごめんやで。声でえへんなんて大変やんか。すまんかったなぁ・・・。」


謝られるのも逆に恐縮です。
だって不注意でぶつかったのは完全に私のせいだし、その事と私の声が出ない事とは関係ないからです。
私が不思議に思ったのは「すみません」という言葉を私が発する事ができなかったことを許すだけでなく、ぶつかった事そのものを許し、逆に私に対して彼女が「申し訳ない」と謝る事でした。
大声で詰ってしまった事に対して、我に返ったのかも知れませんが・・・。

なんか変な気持ちでした。



<その2>
帰省に際して空港に着き、チケットレスで発券し、手荷物を預けました。(私がぼんやりしていたせいで時間的にちょっとばたばたしたものの)何の問題もなく福岡行きの飛行機の座席に座りました。


機内サービスで飲み物が配られたとき。
私は中央の席に座っていたのでさすがに指差して頼む事もできず、またメモ書きで、今、声を出す事ができない事、それとスープがほしい事を伝えました。
キャビンアテンダントは一瞬はっとしたした表情を浮かべましたが、にっこり笑ってスープを差し出してくれました。


あっという間に着陸し、荷物を持って飛行機を降りる時。出口で乗客を見送っていたキャビンアテンダントの一人が私に飛行機の絵葉書を手渡しました。


なんだろう????


裏には「ご搭乗有難うございました。ドリンクサービスまで気付く事ができず、本当に申し訳ございませんでした。」という旨の文章が綴られていました。


え?どうして謝るの?

身内に航空業界で働いている人間がいるので、ハンディーを持っているお客さんが搭乗する時には、カウンターで受けつけた時点でその事を伝え、客室乗務員もそれを踏まえてサービスをする、というのがこの業界の常識であるという事は知っています。
でもカウンターでも聞かれた事に頷いたり、会釈したりと、一言も言葉を発する事なくとも事足りました。それに今、声が出ない事を敢えて伝えて何かの手助けを必要とする状態にはなかったので、私からもその事は伝えませんでした。地上・客室のスタッフ誰もが気づかなくて当然です。


だから、別に彼らがそんなに恐縮して謝る必要はないと思うのだけどなあ・・・。

絵葉書の気遣いはうれしくない事もなかったけど、なんかちょっとだけ違うんだよなあ・・・という気持ちが残りました。


これが二つのエピソードです。


今から書く事は少し言葉や表現が悪いかもしれません、気を悪くする人がいたら面目無い。


敢えて言うならば
私は今、「エセ」障害・者 なんだと思います。


自分にはあまりその自覚がありません。確かに不便に感じる事や意思の疎通ができないストレスが無いわけじゃないけど、私の場合は、いつかは必ず治ります。
ハンディーキャップを「体験」している、というのが一番近いかなあ・・・。

だからこの違和感が残るのかしらん?
一体この感覚は何なんでしょうか・・・。
つらつら思い出しては考えてみますが、良く解らないままです。