椎名林檎が町屋でライヴをするというので京都までやってきた。ライヴまでに時間があり、彼女はまだぱらぱらとしか来ていない客相手にワインを飲みながら丸机に頬杖を付いて、足を横にして座っている。レトロなニットに、これまたレトロなニットプリーツスカートを穿いているのがとてもよく似合っているのだが、かわいらしい、と言う感じではなくやはりどこかとがった印象が残る。それでも笑ったところなどやわらかく、多弁に何か語っている。話の輪に加わる。林檎が喋っている。「ちょっとだけ年配のグループがね、この前来ててお喋りしていたら皆飲みすぎたのか、顔が真っ赤なのよ。でね、そのグループの一人が『ちょっと酔ったみたいふらふらするわ』なんて言い出すと皆そういってね、机の回りでとろーんとしてるのよ。私が『ライヴは皆思い思いに楽しんでいただいたらいいのですから、辛かったら座って聴いてらしてくださいね。』って言ったら皆喜んじゃって『悪いけどそうさせてもらうわぁ』って。私は心のなかで、ハイ!1組終わりーってさ。(ここで笑い声が周りから起こる)やっぱ私のライヴに来たからには皆にスタンディングさせたいじゃない?」さらに彼女の周りの輪から笑いが起こる。
林檎を見ると少し酔った様子。私は(この人こんな感じだったかー、エンターテイナーとしてなんか終わっちゃってる。)と思う。急に林檎は立ちあがり、「あ、パンが焼けてるのよ、皆食べてー。」と言う。立ち上がってパンを取りに行くとそれは色んな具材がのっていて様々な形をした美しいものだった。私が「写真を撮らせていただいてもいいですか。」と尋ねると、急に厳しい顔になり「あ、これはね、まだ完全に完成していないからちょっと。人様に見せれるようになったらメニューとしてHPに載せるから。」と言われる。私は(完璧主義なのに未完成のものを一応客である私たちに出すって何か矛盾してないか?)と疑問に思う。林檎の差し出すいい匂いのするパンにはハーブが添えられていたが、その葉から急に花芽が出て白く小さな花を咲かせ、どんどん大きくなり私を取り巻き白い渦になる。その向こう側で林檎がにっこり笑っている。


と言う夢を見た。


あー、さっぱりわからん。大学時代はかなり傾倒していて、幸福論のシングルを偶然レンタル屋で発見して何かジャケットに惹かれ聴いて「なんだこの歌詞はメロはこれはすごいみっけもんだ!」と興奮し、アルバム無罪モラトリアムを聴いて聴き倒して(出た頃京都で引越しをしていて、「足の踏み場も〜ない〜」部屋のなかでぽかんと開いていた押入れの二段目に体育座りをしてこれを聴いていてMさんに呆れられた。)その後勝訴ストリップを聴いて、ああいい出来だ、と思ったのに、沢山聴いたのに無罪〜ほどは体に入ってこず、その後なんとなく最初の頃ほど熱心には聞かなくなりました。何故かわからなかったけど、興奮がなくなってしまったのですよ、私のなかで。多分私側が変化を起こして、シンクロしなくなっちゃったんだろうなあ。
そんな気持ちが極端にデフォルメされた形でこんな夢が現れたのかしらん?夢の中の林檎は今より結構歳を取っていて、何と言うか、毒気と牙を抜いて近所のちょっと変わったおばさん化した戸川純、って感じだった。(私は戸川純に対して極一遍通りの情報しか持ち合わせていなくて、なのにこうやって比喩の対象にしてしまっていいのか悩みますが、適切な例を他に思いつかなかったもので。)で、起きた時の頭の中のBGMは何故か東京事変の「群青日和」なのでした。今でも嫌いか好きかといえばかなり好きなんだけどな。でも今でも一番すきなのは幸福論の『幸福論』と『すべりだい』との間に入っている『丸の内サディスティック』のアコースティックバージョン、というか路上っぽい?感じの音かも。幸福論をはぁ?ってくらい聴いて、(この曲なんていうんだろうすげーかっこいい)と思っていたからアルバムに入っていたときには本当に嬉しかったんだよなあ。

教育  おきぬけ頭の中のBGM:東京事変『教育』から「群集日和」
無罪モラトリアム  久々の訳解からんけどはっきり覚えている夢日記を書きながらのBGM:椎名林檎無罪モラトリアム