結局空は白んだ

最後の桜が咲いていました

このブログの日付変更は27時なので、昨日の2つ目のエントリは、本当はインチキなんですけどね、私の中のルールでは。でもあまりにもあれはあの日のものだったから昨日の日付に押し込んじゃいました。
朝が来るのは怖い。眠る時も怖いけど、目が覚めてしまうのはもっと怖い。明るくなったけど人の気配のしない早い朝は、ちょっと私を突き放している感じで、(いや多分私だけじゃなくてどんなものも突き放して偉そうに高慢ちきにつんとすましている)ちょっと居心地が悪いのです。部屋の窓も締め切っているのに気配が入り込むのはずるいと思います。それに比べて夜たっぷり暗くて静まり返っているのはもっと近しい感じがします。何でかな。暗い夜のそれは停滞してて澱んでて、時計の針は進んでいても何かが進んだり変わったりする感じはちっともしないからかしらん。朝は、急激に変化して、急き立てられて、いや違うな、否応なしに「次の日」だよ、また始まるんだよと、うんざりしているくらいわかりきった事を(そしてあまり指摘されたくないそれを)ぐいぐいと押し付けてくるからなんでしょうね。無為だなあ。
眠るのはいい。嫌いじゃない。でも目を覚ましたくない。もううんざり。一日として同じ日は無くて、でもだからそれがなんだというのだろう。それだけで意味があるなんて、そんな考え馬鹿らしいと思う。ただ違う、ということだけ。だから何?