言葉の枠組み

もう寝付けないし、今日は出かける予定があるので(生理痛がひどいので出たくないが、今日は昨日よりきっとマシなはずだし、こんな時だからこそ、気持ちだけでも、と思う。)会う人のために文章を作らなければなりません。言いたい事がたくさんあって、それが会う前に解っているときには、PCを使って文を打つ事にしています。本当はちゃんと手書きしたいのだけれど、(一部私の手書きの文字を見た事がある方はおわかりのように)私の字はひどく癖があって読みづらいし、また、小学生がで習う漢字も書けない体たらくなので、打つ方が私にとっては(相手にとっても?)楽なのです。ただ、対話がしたいのに、文章にしてしまうと全体的な印象を答えられて、私は筆談で限られた時間の中で最小限のことばを選んで短い返事を書く、という事に陥り易いので、最近は箇条書きにして論点がずれたりばらけたりしないように気をつけています。こうして考えると通常の対話というものは、随分自由な枠をもって運用されているものだと、手段を取り上げられて初めて気付くあほな私なのでした。