私を助けるもの?

病院に行ってきました。医者からとりあえず一つの安心と、一つの対処する為の道具を得ました。
でも動くと頭がガンガンするのでちょっと失敗だったかもしれません。医者やMさんの言う事をちゃんと聞かなかったからバチが当たったのでしょう。


ところで私にはこれといって信じる宗教はありませんが、何かすがれるものがあるというのは羨ましいなあと時々思います。
しかし私も漠然と何か人を超越した力を持つものを信じているのかもしれません。
だって、上の文章で「バチが当たった」なんて書いているから。
あと、これから「いい子」にする(例:アイスクリームを1箱一気に食べたりしない、人ににもっと優しくする、食べたくなくてもごはんをちゃんと食べる ←なんか本当にものすごく「こども」ですな)から助けてください!と、これまた何か判らないけど、何者かに心からお願いする、というのは昔から良くやっている私の癖(?)です。こういうものをきちんと綿密に体系化して皆が納得できる理論に展開できたら「宗教」になるのでしょうか?
そういえば私の通った幼稚園はカトリックで、土曜日の午前中には神父さまがやってきて色々なお話をしてくれました。でも殆ど覚えていません。クリスマス会でやったキリスト生誕の劇は、マリアに懐妊を伝える天使役のふわふわシフォンの衣装が素敵で、それを着れる事だけが嬉しくて仕方ありませんでした。お昼ごはんの前には手を組んで「天にまします我らが神よ〜」から始まり、最後に「アーメン」と唱えてから頂くのが約束になっていました。でもその本当の意味は解かっていなかったと思います。
いや、本当はもっと深いところで解かっていたのかもしれませんね。漠然とではあるものの、私のなかに人を超越した何者かを信じる、という思考形態が形作られたのはあの場ではないかと、今振り返るとそう思います。その「何者か」がイエス・キリストに直結しない位にとどめる教育であった事に対して、私は卒園した幼稚園に感謝をしています。キリスト教が嫌だ、という意味ではなくて、私に「選ぶ自由」と「既存のものを選択しなくても良い自由」(もっと簡単に言えば「何も選ばなくてもいい自由」)を与えてくれた事に対して、感謝をしているのです。