ぼくの小鳥ちゃん

最近寝るときに、Mさんに「ぼくの小鳥ちゃん」を読んでもらっています。「寝かしつけ」ですね。どんどん幼児返りしている気がしますが。つまり夢で見たことは半分本当なのです。今までも睡眠への処方箋には薬と音楽があったのですが、それでも入眠はへたくそでした。でもこの寝る前の「読み聞かせ」は効果絶大です。どうやら1頁分も聴けずに眠りに落ちているようです。読んでいるMさんは読ませ甲斐が無いと感じているのではないかと、少し申し訳なく思っていますが、私にとっては素晴らしく幸福です。驚くべき効果をあげているので本当は満足してもらえたらいいのになあ、と、変な理屈かもしれませんがそう思っている次第です。


江國香織のこのちいさなおはなしには大学時代に出会いました。

『ぼく』が、「残念ながらずっと肩にとまらせてあげる事はきっと出来ないと思うけど、いつか飛び立つまでの間でよければぼくの肩を貸すよ。」と言うので、『小鳥ちゃん』は『ぼく』の部屋で暖まり、その肩にとまって羽を休めようかと躊躇しました。
でも『小鳥ちゃん』には(飛ぶ鳥後を濁さず)飛び立てる自信が無かった事と、今まで心の中で(いつかはこの人の肩を飛び立つ事になる)と思いながらいろんな人の肩にとまって来たのに、相手に飛び立つ事を前提にされた時、初めてそれを承知で肩にとまるという事が悲しく思えてきて、結局『ぼく』の肩にはとまりませんでした。


先日、この本を引っ張り出してきた時に思い出した小さな、別の、ストーリー。
それを思い出すきっかけになった文章。


ことりさんのhttp://birdcage.jugem.cc/?eid=54
受け入れすぎる/全く受け入れない


本当はそれが怖くて逃げ出したのかもしれません。
でも私には今があるからもういいのです。十分な倖せ。
それが例え、生きているのか、いないのか、
「今日が明日でも、明日が今日でも変わらないような」残酷な毎日であったとしても。


ぼくの小鳥ちゃん  江國香織『ぼくの小鳥ちゃん』


遠い目をしながらのBGM:Sonatas & Partitas for Solo Violin 1  演奏:Lucy Van Dael  
静かで悲しい。適切な演奏。この人のはBOXで持っていますが、華美過ぎず芯を捉えている気がします。ほんのちょっとだけ物足りないけど。