榎本ナリコ『スカート』

スカート (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

スカート (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

今日これを読んでいてぐったりしました。この女性主人公ほどではないけど、かなり近い感情を抱き続けて成長したから。何故『女』であることに疑問を持たずに過ごせなかったのか、と。
私はこの『女である違和感』や『女である不平等感』(それは特にあとがきで上手く表現されているのだけれど)にひどく囚われ続けていました。「女だから」には酷く拘ったし、反発したし、苛立ちを覚えたものです。そして、その当時(小学校高学年〜高校位)私が考えた事と言えば、唯一女に「明らかに」自由があるのは『スカート』と『パンツ』(ズボン)を選べる自由位なものだ、と思い、そしてそれを行使するのは「女の『特権』を『利用』する事」と等しく思い、スカートを穿く事無く過ごしました。だからその頃の私の写真には『強制されて穿かされた』制服のスカート*1姿以外、私服ではパンツ姿の写真しか残っていません。
今はそれはそれで随分歪んだ(?)性差観を持ったものだと思いますが、でも、それが歪んでいると感じる様に変化したのには、学びの場で改めてセクシャリティに相対した事よりも、色々な人に出会った必然がそうさせた気がします。少なくとも(今の所)私の体には(こころにも??それは未だにわかりません。)おとこの人が合っていたし、何より私の体にぴったり合っているなあと思える人に出会ったし。(おとこの人同士、おんなの人同士が「お互いに」相手でなくてはならないと強く思えればそれでいいと思うし、バイセクシャルの人も然り。私もそんな相手に出会ったら、相手がおとこであろうとおんなであろうと関係ない、と、そう思っているし、全く否定する気持ちはありません。)
そして周囲の男性を冷静な目で観察すると、彼ら(おとこたち)は私が思うほどに自由な存在ではなかったのです。(例えばおんなのこが将来の夢を「花嫁さん」と書けても、おとこのこが「花婿さん」とはなかなか書き辛い様に。婉曲に書きましたが、小学生であろうと大卒であろうと同じ事です。そして歳を経るごとにその縛りはきつくなっていくのです。)私は私のパーソナリティから、社会に相対する際に比較的(社会的評価で言う所の)『男性的』な志向をもっていた様なので、就職活動の時などは本当に難儀な思いをした事もありましたし、実際社会に出てみてそれを実感した部分もあります。例えば私の夢は「主夫」を持つ事なのですが、これを気の合う教授に就職活動前に話した時、非常に微妙な顔で反応されました。(男である教授が拒否反応を示した、というよりも、それが叶うと信じて疑わなかった現実を知らない私にどう伝えたらいいのか、きっと教授は(私の性格を踏まえた上で)迷ったのだと思います。というか、そうであると信じたい。)未だに「主婦」にはなりたくありませんが、「主夫」を持つ程(必ず、絶対に)逆転させなくてもいいか、とは思う様になりました。
ただ、これを「丸くなった」と表現したくはないのですが、少しづつ歳を取り、昔は思いもつかなかった(・・・というより何故こんな機能があるのかと忌み嫌っていた)『子どもを産む』ということにも興味を持ったりと、自分がすこしづつ変わっていくのを感じます。
そして、『スカート』を穿けなかった「私」、そのひらひらとした心もとない危うさを心地よく感じられなかったあの時の「私」、そして『スカート』を穿けるようになった今の「私」はいま、自分が紛れもなく『おんな』であることに一体何を感じて、考えているのかと心の中で問うのですが、もやもやと漠然とした感覚や表現できない感情だけが残って、このコミックを読んだときに、その感触があまりにも強く、切なく増幅されて迫ってくるのです。

一番気に入ったセリフ:―心と心をくっつけるような。―「クチの構造なら、男も女もないもんな。」

*1:11/21追記:しかし今思い出してみれば、私は小中高と全て制服のある学校に通いましたから、結構な時間『スカート』を穿き続ける事を強要されていた事になります。市内に制服のない学校は(定時制以外)ありませんでしたから(多分今現在もそうだと思う)いろんな地方からいろんな人間が集まって来る「大学」に入った時に、「高校は私服だった。」と当たり前の顔をして言う人間に数多く出会い、非常に驚いた覚えがあります。今では制服姿を(何かを無くしてしまった様なかなしみや切なさと云ったかすかな感傷と共に)遠い目で眺める事ができますが、あの時の自分に思いを致せば、(実際制服と言うものの存在を恨めしく思っていましたし)制服などなくしてしまえばいいのに、とやはり思います。そしてそれを「強制するもののシンボル」として捉えた時に、やはり私は許容する事ができず、制服がある会社には(私がそれを着ない職種につく事は無論の事、存在させている事自体が許せず)絶対に行かない、と就職活動のときに決めていました。(随分変な質問をする奴だと思った事でしょう。制服があるとこたえた会社はこちらから願い下げでしたし、無いと答えた会社にとっても、その質問の意図を理解していれば扱いにくい人間だと思ったかもしれません。でも私にはそういう私の志向を受け入れてくれる会社を探そうと言う強い意志がありましたし、受け入れてくれる会社であれば、その質問は大きく、また、判りやすい自己PRになるとも計算していました。)いまでもその考えは基本にありますが、その当時ほどとんがった気持ちではないかもしれません。これが世にいう「丸くなった」という事なら、そういう事なのでしょうか。