いぬのお祈り場

これがMY『お祈り場』です。

私は無宗教です。が、なんとなく祈ったりはします。
(以前少し宗教について考えた時のもの→id:kuma-neko:20040930#p2)
ばあ様やじい様が亡くなった時、病院〜通夜〜葬式〜初七日〜延々と続く、の作業の初七日位までお付き合いしましたが、その作業(敢えてこう云わせて頂きます!)の煩雑さと労力の大きさといったら!!
ただでさえ看取りの後、気力体力消耗している所に人がどっと押し寄せて、しきたりだの作法だの葬儀屋だの費用だのお接待だの(田舎だからもう大変。)「あら〜HALちゃん大きくなったわねぇ〜」で始まる長大な昔話の相槌を何故か妹が隣で打ってたり。(私はよく妹と間違えられます。妹はよく姉と間違えられます。つまりそういう事です。)
そこで思いました、わたくし。「おそうしき」(とその後のたくさんの・・・)という儀式は、残された遺族が悲しみに暮れて生きていく事がままならなくなる事を防ぐためにうまいこと考え出された行事なのじゃなかろうかと。じゃなけりゃこんな疲労困憊に鞭打つような酷い仕打ち受ける謂れが無い。
でもちょっと思いました。少し位悲しみに沈む時間をおくれよ、と。


今日の写真は私が作った「リュウへのお祈り場」です。ぬいぐるみがあまり好きでない私が以前何故か衝動買いして連れて帰ってきたグレーとピンクの目を閉じたプードルが天使や観音様を想像させます。『祈りの姿』に見えるんでしょうね、今まではそんな風に見えなかったけど、気持ち次第でどんな風にも見え方は変わるんですね。で、白いお花を一輪捧げる事にしています(今は白いカーネーション)。そして気が向いた時にはGONESHのインセンス(黒いコーンでココナッツの甘い香りがする奴とか)を焚いて、煙がたなびくのを見ながらリュウの事を思い出します。ばあ様やじい様の時にもこんな風にゆっくりと死んでしまったということを受け入れる時間が欲しかったなあ、などと思います。
ところで、「2人とも天国でリュウと遊んであげてね。」なんて思っちゃうって事は、わたし、死後の世界を信じてるってことでしょうか?天国とか地獄とかも?そういうものに対してちゃんと考えた事がなければ何の考えももたずにいる癖に「リュウ、天国ではのんびりしてね。」等と思うのは何かを少し冒涜しているような気がするのですが良いのかなあ・・・。でもリュウは絶対天国みたいなところでもう痛い思いもせずに倖せにしていると信じているのです。
天国も地獄も、死後の世界も、それのみを取り出して考えたら殆ど信じてない癖に。調子良すぎです。
因みに、実家に帰れば仏壇に手を合わせますし、父がうるさく言うし別に嫌でもないのでお墓に参ります。でも祖父母が仏様になったとは思ってないので相変わらず心の中では「おじいちゃん、おばあちゃん、あのねぇ・・・。」と何かお願いしてたり報告してたりしています。まあ、一方通行のチャネリングスポットとでも言いましょうか。

私はきっとそのうち、白い花を生けるのをやめるようになり、もっとカラフルな花を部屋に生ける事も気にせず、犬のぬいぐるみもまたどこか別のところに飾ったりして、つまり、悲しいけれど忘れてしまうのでしょう。いや、忘れはしないけど、こんな風にずっと想っていたりはしないのでしょう。いまは想っていたいから。そんな気まぐれでこんな事をするのは良くないことでしょうか?(いや・・・完全に気まぐれだけじゃないんだけど、あえてきつい言いかたしたらこう言えなくもないですね、ってことです。)でも相手が犬だろうと人間だろうと記憶のすこし奥の方にしまいこんで、取り出したい時だけ取り出して、眺められるようになるために、こんな方法でもいいんじゃないかなあ、と。


少しずつ泣かない日が増えてきました。