むかしむかしのお話

忘れもしない、ワタシが7歳のとき、そして妹が5才、弟が4歳の時のお話です。夜中に目が覚めました。その頃私は原因不明の悪夢、しかも同じパターンが毎日繰り返し上映、なぜか親には相談できず終には一人で『夢から抜け出しの術』を会得し解脱したのですが…。多分そんな悪夢を見て不安な気持ち一杯で目が覚め、(だって悪人に追われて母と一緒に逃げるというストーリー(たまには母が私をかばって死ぬ)だったのですから・・・)隣で寝ているはずの両親のダブルベッドを見ると2人がいない!!大変だ!私はまず妹と弟を起こしました。そして皆で泣きじゃくりながらどうしていなくなっちゃったのか、話し合いました。嫌いなグリーンピースをこっそりテーブルの下に落として食べなかった、弟と喧嘩をして泣かせた、お手伝いをせずに本を読んでいて怒られた、皆思い当たる節が多すぎて、怒って私たちを置いてどこかに行っちゃったんだと皆で泣きながら結論付けました。そして、きっといないと思いながらも必死で家中を、両親を呼びながら探し回りました・・・が、やはり見つかりませんでした。しっかりものの長女の役割をその頃すでにこなしていた私はいかにすべきか懸命に考え、出てきた結論は「おばあちゃんたちに電話する。」でした。親がいなくなった次に頼るべきものを必死で考えたのだと思います。そらで覚えていた番号にかけると、夜中に電話を取って話を聞いた祖父母は、車ですぐに迎えに来てくれました。そしてその日は祖父母の家に保護されて眠ったのでした。
後日両親は、私たちに、皆も知っている近くの喫茶店で2人でコーヒーを飲んでいたのだと打ち明けました。そして、皆の事を置いていなくなったりは絶対にしないから、約束する。と言いました。
そしてそのあと、わたしだけにこういいました。「もし今度二人でコーヒーを飲みに行くときには、HALにはちゃんと言ってから行くから、寝ていても起こしていい?」私は勿論OKしました。理由もわからずいなくなる事に比べればそんな事なんて事ないから。そしてほんの時々父の手作り2段ベッドの上に寝ている私を、両親は起こしに来ました。「ちょっとだけだから、ちゃんと帰ってくるから。」と申し訳なさそうに。もっとも、それに慣れていくつか年を取った頃には私はあまり悪夢を見て起きる事は少なくなっていたし、また、両親がいなくなっているのに気付いても「またか」と思うだけで不安になったりはしなくなりましたが。
・・・私がそのとき最善と思って取った行動・・・つまり私が祖父母を呼んでしまった事・・・で事をややこしくさせてしまったらしい、というのは子供心にすぐに理解しました。祖母は孫の前でもまるで言い聞かせるかのように母の事を悪く言う人でしたから。(父が同罪でもお咎めなし。)中学の頃にはもう笑い話になっていましたが、母は「あれは私たちが悪かったのだけど、本当に謝っても謝っても罵倒されて参っちゃったわ。」と笑っていっていました。コーヒーを飲みに行く位なので実際には夜中でもなかったのでしょう。が、その当時の私たちの時間感覚から言えば、それは『真夜中』と等しい時間だったのです。(多分遅くても10時くらいだったと考えるのが妥当な線でしょう。)
このとしになって、そしてまだ子供はいないけれど、いつかそう果てしなくは遠くはない日におそらく親になる、という選択肢が結婚によって現実味を帯びた今、親の気持ちがもっとよくわかるのです。たぶん、本当に子供を授かったらもっともっと身にしみてわかるのでしょう。親、は、その前には恋人であったと言う事。子供がかわいい事に偽りはないけれど、たまには「親」じゃない役割でお互い向き合いたい、そんな時間を過ごしたいという気持ち。
優しいけれど同時に不器用で横暴な父と、母もよく続くもんだと感心しますが、飲みに行くと、酔っ払った帰り道は、もう今じゃいい年になった私たちにはばかることなく腕を組んで帰る両親は多分間違いなく今でもスウィートなんだと思います。そして、そんな二人に「親」じゃない時間をプレゼントしてあげた私ってなんて偉いんだろう!と思います。プレゼントしてあげれて良かったな、と。
マイ子さんところの『maicomemodiary』id:maico20:20050620を読ませていただいて、思い出した、今となっては私の中でもスウィートな思い出です。


たまに引っ張り出して聴きたくなるBGM:fabienne『Colors』