はやばやと終了。

ヒゴタイ@阿蘇

治りました今回は。声が昨日から出るようになりました。失声症、とりあえず今は症状がないので治った、のでしょうかね。(根本的なところはさておき)
ちらっとでも心をくだいてくださった方々に、ありがようございます。

以下はその顛末旅行記です。あまりにもしょーもないので一応隠しておきます。

しかし今回は子供じみた自暴自棄な行動とともになんやかんやいって大阪のせんせのところに結局駆け込んでしまった私でした。実家(→飛行機→)伊丹(→リムジンバス→)新阪急ホテル(→徒歩→)梅田の病院というこの移動、近年希に見るしんどさでした。飛行機では激しくそしてかなり早いビートを打つわたしの心臓、異様に苦しく酸素が足りないと勘違いして速まる呼吸、必死に落ち着こうとする頭がいーっ!!となって脳圧が上がり・・・。ここだけの話、高校時代に羽田→実家のANA最終便を伊丹にダイバードさせたことのある私・・・*1絶対に繰り返さない!!という意地で一時間が過ぎました・・・。わたし、意地でどうにかなるのかと、ちょっとだけびっくりしました。続けて乗ったリムジンバスは、切符を券売機で買ってすぐに梅田行きのバスが見えたのでしんどい中小走りでかけつけ、「マルビル行き」ではなく「新阪急ホテル行き」なのをみてラッキー走った甲斐があったね!とぜーはーいいながら乗り込むとなんだか雰囲気が・・・うわ補助席?聞いてないって!ちょ待て、私降りたいんだけど・・・しかし声が出るはずもなく、ノートに書き付けようとした頃には既に前にも後ろにも進めない状態・・・閉じこめられたよ・・・しかもやたらと恰幅がよく、そして追い打ちをかけるようにやたらとコロンがきつい背広姿のおにーさん・おじさんばかりが私の脇と前後をがっちり固め・・・そして飛行機の中の状態へと逆戻り(席から離れられず身動きさえ出来ない分こっちの方がしんどかった。武器さえ持ってればバスジャックして「今すぐおろせ!!!」と叫びたい気分だったです。)いーっ!!となったまま新阪急ホテルのバス乗り場でやっとおろされ、暫し柵に捕まり息を整えていると、バス待ちのおばちゃんに「あんた大丈夫か?息荒いし顔色悪いで、救急車よぼか?」といわれ、メモ書きする元気もなく、かといってこのままここにいるとほんとにピーポー乗せられると思い、復活する間もなくお節介いやいやいやとっても親切な大阪のおばちゃんに精一杯の(きっと曖昧な)笑顔で頭を下げ、追われるようにその場をたち去りました。(ごめんおばちゃんほんまにありがとう。)そしてこの旅最大の難関が新阪急ホテルから食堂街の脇を抜け、ムービング・ウォークとやらで運ばれたその先にある阪急百貨店まえのアーケード(?)。あまりの人の多さに、そして行き交うそのスピードに一瞬世界が歪みましたが(冗談でなく)「これを越えて病院に行き着くか、倒れるか、さあどっちが早いかな」などど洒落にもならんことを思いながら冷や汗鳥肌だらけでなんとか病院まで行けたのでした、奇跡的に。


病院の硬いベッドで横になったとたんに少しだけ、でも深ーく眠ったあとはうとうとしていました。わたしはこの病院はせんせはじめスタッフさんまでみんな大好きで、で、特に好きなのが看護師さんで、このかたなんともやわやわした独特の人当たりと喋り方をされるところがもうとってもラヴなのです。着いた時にはアンテナ感度が良すぎて受信しすぎでオーバーフローな上にきりきりとねじを限界まで巻き上げたような状態だったのですが、時々声をかけてくれる彼女のやわやわ喋りにいつのまにか引きずられたのか、ねじは緩んで体の緊張がほどけて、いつの間にか憑き物が落ちたようにさっぱりとした心持ちになっていた私でありました。そして反省して各所に連絡をして、ぼやーっとしながらもいろいろ抱えていた当面の問題について自分で、できるだけ素直に整理してみたら、せんせに相談することなく答えが出てきたのでした。ということで、半日入院くらいは優に寝かしてもらっていたのでしたが、いざせんせの前に座ったときには結構余裕で(着いた当初に比べて、ですが)こう思ったんだがどうだろ?発表会とアドヴァイスになったのでした。
しかし、今回は本当に看護師さんに助けられた・・・わたしはこの言葉が両方ともあまり好きではないというかどちらかというと嫌いだったりむやみに多用しないようにしてるんですが、「癒されて」「和んだ」という言葉しか思いつかない・・・ボキャブラリーの貧困さが恨めしい・・・けど、とにかくその「憑き物落とし」の能力で、きぃーっ!!→ぽやーん、になっていつ頃からかはわからないのですが、私は確実に彼女と「話をしていた」様なのです。ノートに書き付けた会話の記録がないので。そしてせんせのまえに座って現況をつらつら話していて、「・・・で、数日前にまた失声が起きて声が出なくなってへこんで・・・あれ、今私喋ってますねぇ?」というへんてこな具合になり・・・。良かったねえ、とは言わないせんせでありますが(多分それは声が出ない状況を否定することになるからなんでしょうね。出ないのも一つのサインであり身を守るための反応であり一つの状況であるから「生活に困る」という一つのデメリットはたしかにあるけど、それは負の価値ばかりではないんだ、と、最初になったときのずいぶん後のほう(確か3ヶ月くらい続いた)で言われましたから。)少なくとも私は、もう声が出ないのが治ったことを素直に「よかったなあ」「よかったねえ」と思える心境になっていました。まだきりきりなっていたときには、上手く言えないけど確実に存在する「声が出ないメリット」の方が勝っていた気がします。
しかしくどいけど、それをいっきにほどいちゃった看護師さん、やーほんとにすごいなあ、ますますラヴです。そしてそういうスタッフさんを選んで、そしてずっとお勤め出来る環境をつくってるせんせは、人徳なのか、能力なのかわかんないけどそれだけ取り出してもすごいなあ、と、あらためて見直した(失礼)のでした。

*1:ごめんなさいANA様、わたくしあれから出来うる限りANAを使うようにしております。優しく笑顔が爽やかなイケメン(古い話だから古い言葉でもよかろう)大人な男の方(ANAスタッフ)が退院した病院からBMWでホテルまで送ってくださったときには都会を知らぬド田舎の純粋無垢な(言い過ぎ)おぼこい娘はもう状況を忘れて興奮を通り越しぼけらとなっておった気がします。朝はホテルまで迎えに来てくださり、『お子様一人旅』軍団と一緒に、ほかに乗客のいなかったビジネスクラスの座席に座らせてもらった・・・。(今思えばどちらも目の届くところにおいておきたかったと思われる)もうほんとうにANA様々です。