おきた?

上手い事出来てて液垂れなし!

昨日は寝たと言うべきかベッドで起きてたと言うべきか、あまりの眠れなさにおくすりをがぼーとのんでずーっと寝てしまいたいと思っちゃったりしましたが、本当にそんなことをやらかしてしまう前には、Mさんに言われたとおり隣で寝ているこのひとを起こすしかないな、などと散漫な思考とともに涙をぼたぼたこぼしたらほんの少し眠れまして。
7時にうっすら目が覚め、条件反射的にMさんを起こして、ぼけらとしたまま、とりあえずとにかくリビングのマッサージチェアまで連れて行ってくれと懇願して、光一杯サンルーム状態のリビングで、薄い羽毛布団をかけてもらってぐにぐに揉まれながら、冷たいウーロン茶だの野菜ジュースだの温かい蕎麦茶だの飲んでいたらそのうちまたとろとろ寝ていました。夢の中でいろんな人に取り囲まれて責められました。すこし目が覚めたら朝のワイドショーで、いろいろな理由で自殺した大人や子供に「(とにかく)死ぬな!」といろんな人が喚いていました。そうか、夢に介入されたのか・・・。
Mさんは私のためのハニーディスペンサーを洗って乾かして蜂蜜を入れて、あとはパンにかけるだけにセットして出て行きました。薄透明で薄黄色のそれは朝の陽を浴びて液体の宝石に見えました。宝石を食べたら何か光り始めるかな。江國香織の「バターが骨をつやつやにする」エッセイを少し思い出しました。
窓の外の銀杏は本格的に色づいてきました。目覚めていない頭に、秋の陽を燦々と浴びる黄色い光の固まりは少々暴力的で、眩しくて見続けることが出来ません。夏のそれより狡猾に心に忍び込むのがいやらしいです。もしかしたらこっちのガードが夏より甘いのかも?
たくさんの、自ら命を絶った人の事を少し考えて、そして自らを省みて、雲ひとつ無く月のかけらしか邪魔しない青空に目をやり、部屋の外に溢れかえる、まるで作り物のようにきっちりした世界の眩しさに息苦しくなって、その事が存外悲しくて泣きそうになりました。

ふいにカロリーが頭をよぎることも、ないとは言えない。でも、私はすぐに、その軟弱な考えをふり払う。こんなに贅沢な、こんなに幸福なバターは、多分私の体内で、骨をつややかに輝かせる働きをするだろう、と、考えたりする。
今年祖母が、三年前に父が、それぞれ逝ってしまったので、最近二度火葬場にいったのだけれど、いつか私が死んだら、きっと火葬場の人が骨を見るなり驚くだろう。丈夫で、白く、つやつやしているはずだから。「贅沢なかただったんですね」火葬場の人は、そんなふうに言うかもしれない。
幸福な食べ物と言うのは、たぶん、そういうものなのだ。

泣く大人  江國香織『泣く大人』より「贅沢なかたまり」