しごととせいかつ

ひえびえと、全然やさしくない

今日は朝からしごとのことでMさんと口論になりました。まだはやい、という彼。(私の事なのに私が決められないなんて)とおもう私。いや、彼や私の両親は、私を金銭的にも精神的にも守ってそして助けてくれています。だから「口を挟む筋合い」なのです。頭ではわかっています、が。
朝の口論と昼の電話での口論で、きりきりした高い怒りと、我が事ながら儘ならぬ苛立ちと、未来に対する焦りと、少しの絶望感(絶望、だから「少し」という形容は合わない気がする・・・じゃあ、諦めに伴う悲しみ、とでも言いましょうか。本当は「不安」で十分なはずなのに、その先まで飛び火するのが悪い癖。)を感じ、予定していたのに「家出たない、どこにも行きたないし病院にも行かへん。」とへそを曲げ、そして、こんなんじゃ仕事なんて出来ないね、と自分に嘲笑。


前みたいに、仕事がしたいんです。しんどくても別にいい、だってしんどくても仕事してたときのほうが私満足してた。自分の働きに対して、お客さまから対価と(しばしば)感謝を貰い、自分の働きに対して、会社から給与と(それなりの)評価を得る。ノルマは必ず達成する、クレームはどうにかして処理する、タスクを予定内に終わらせる、そんな小さなところにも私の「満足」はあったし、お客様の人生・キャリアに関って、満足してもらえて、感謝の言葉を与えてもらえる、そんな大きな「満足」もあった。
でも対価として私は体と心を壊したけれど。だからこのまるで「美化した」過去の仕事はほんとうに亡霊みたいなものなんです。かすかす。思い出。体を壊すまでやらないと満足できないなんて、既に自分が壊れてる。だから同じものを同じように同じままの私が求めてもまた同じことになる。じゃあどうすればいいの?
って時々見切り発車したくなります。だって、もうそろそろ「ハローワークで女子の求人が一気に無くなる」歳になってしまいます。世の中驚くほどあからさまだから。
なんでこんな倖せな状況に満足できないのか。答えが明白なだけに、あまりにもMさんに申し訳なくて、いっそ私じゃなければ良かったのかも、などと、考えはどんどんあさってな方向へ飛んでいくのです。